人生が終わってしまうことを恐れてはいけません。人生がいつまでも始まらない事が怖いのです。 by グレース・ハンセン | 『自分が重要である』という欲求を満たす商品・サービスは? 2002年5月25日(土曜日) : : コメント数(5) 人間には、食欲や睡眠欲、性欲なんかの基本的な欲求の他に、他の動物にはない特有の欲求があるね。その中に『自分が重要である』と思われたいっていう欲求がある。 マスローの欲求階層説で言えば、自我欲求と社会的欲求の中に、この『自分が重要であると思われたい欲』が含まれるんだろう。地位、名誉を求めるのも、人から愛されたいと思うのも、まー似たようなもんだろう。 昔、個人店舗だったものが、今ではチェーン店になっているものって結構あるね。どでかい企業体が運営するチェーン店に、個人店舗は価格、サービス、立地なんかの面で太刀打ちできなくなって、遂には店をしめたり、傘下に下らざるを得なくなったりするわけだ。これは時の流れか?経済の流れか? そのチェーン店は、俺っち達のニーズを把握し、その欲求を満たす商品やサービスを提供している。サラリーマンにとって価格の安いチェーンの居酒屋はありがたいものだし、行けばなんでも揃っている大型デパートは主婦に喜ばれる。例えば映画館でも、名画座は80年代〜90年代にかけてどんどん消えていき、代わりに映画を『イベント化』や『ファミリーレジャー化』したシネマコンプレックスが台頭してきた。大型モール内などとの併設や、立地・施設の充実による駐車スペースの確保。どんどん欲張りになる人間を、どんどん満たしてくれる世の中になってきた。 ただ、『自分が重要である』という欲求を満たしてくれる物は、逆に少なくなってきているようにも思える。 先の例で言うならば、顔と名前を覚えてくれて、『いつもの』で最初の一杯を出してくれる居酒屋が少なくなってきていると思う。子供を連れて買い物に行けば、月日が経つたびに『あら、いらっしゃい奥さん。○○ちゃんも来年小学校なんじゃないの?』なんて、自分の子供の成長さえ興味を抱き、覚えてくれる商店街の魚屋さんも、危機に瀕しているに違いない。 オモチャ屋もチェーン店になり、ラーメン屋もチェーン店化してきた。ただ単なる一般人としての俺っち達が、『自分は誰かにとって重要である』と感じられる環境がどんどんなくなってきた。欲求が満たされないと、人間ってのはストレスを感じる物だ。その状況は今後、確実に社会に悪影響を及ぼしてくると思う。 行くだけでビールを奢ってくれる町の居酒屋も、俺っちがメンマが嫌いで海苔が好きだからと『にっちスペシャルラーメン』を作ってくれるラーメン屋も、未成年だと知っていながら、(俺っち達が道を踏み外さないと知っていて)タバコも酒も許してくれるもんじゃ焼き屋さんも、そのうちなくなるのかもしれない。なぜだ?ニーズがあるならサプライがあるはずだ。ニーズとサプライの経済の中、この『自分が重要である』という欲求を満たす商品、サービスを提供している企業はいるのだろうか? AIBOを作るソニーや、自分のどんな意見にも返答をくれる2チャンネルがそうだとするならば、それはそれで寂しい。テレフォンクラブや出会い系サイトが、そのサプライであるというなら、それはかなり寂しい。 自分が他人にとってどうでもいい存在である、自分は社会にとって居てもいなくても変らない存在である、なんてことは誰も思いたくないだろう。私も有名になって脚光を浴びたいと言う若い中高生はオーディションにたむろする。会社ではうだつのあがらない社員もネット上では一目置かれるヒーローかもしれない。これは時代の流れと言うものだろうか? 誰でも1度は自殺しようなんて思った事があるかもしれない。その時歯止めになる理由の中には『親が悲しむ』、『友達が悲しむ』なんてのもあるはずだ。自分が重要だと思われない社会が形成されつつある今、子供が犯罪を起そうと、先生が盗撮していようと、主婦がテレクラに走ろうと、全ては納得の結果としか言いようがない。『自分が重要である』と思える環境が、バーチャル世界に乗っ取られつつある今、現実社会に調和・適応できない人間がたくさん出てきても何の不思議もない。 どうすりゃいいんだ?政治の問題か?企業の問題か?地域社会の問題か?いや全ての問題か?それともこれは時の流れで、人間の価値が低くなるのはしょうがなく、現実社会の代替としてバーチャル世界でその存在を重要たらしめるしかないのだろうか?はたまた、俺っちの考えが考えすぎの、全く的外れなものであるのか? |
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