世の人は 我をなんとも いわば言え わがなすことは 我のみぞ知る by 坂本龍馬 | 映画ビジネスに関する私的見解 その6 2002年4月27日(土曜日) : : コメント数(578) 映画ビジネスを勉強することと、映画そのものを商品と捕らえる事は全く別の話さ。映画は作品にも商品にもなる。ただ、価値あるものであることは変らない。その価値を高め、伝えることこそ映画プロデューサー、マーケッター、…映画ビジネスマンの役目なんだと思う。 世の中には映画をテレビや冷蔵庫と同じような商品と捉えてやまない映画ビジネスマンも多くいる。そして、俺っちも一時期そうなりかけた。ただ、あのクリエイター達、そして彼らが作り出す作品を見て、俺っちは考えを改めた。 ただ、映画は芸術以外の何物でもない!という訳にはいかない。映画は紛れもなく商品だからだ。商品だからこそ、芸術作品足りうるからさ。商品でなくして、芸術作品を作り、見てもらい、お金を頂き、作り続ける、そんなことは出来はしない。 だから映画は芸術か?商品か?っていう二元論は、俺っちに取って、はなはだ体をなさない。世の映画制作者、ならびに雑誌等のメディアは、この二元論を元に意見を形作る。しかし、それはとても稚拙な考え方と言わざるをえない。 芸術作品のほとんどは、一部の人にのみ価値のある物であることが多い。商品のほとんどは、一般大衆に価値のあるものだろう。ただ、どちらも価値あるものに変らない。そして映画では、そこに『価値の交換エキスパート』である映画ビジネスマンや映画プロデューサーが力を発揮する。一部の人にのみ価値のある物に、一般大衆の興味を注がせる。これなくして、映画産業も映画制作も芸術作品も成り立ち得ない。 ある偉大なるプロデューサーがこう言った… 『プロデューサーってのはね、通訳だと思うんですよ。』 と。監督の思いを、いかに投資家や配給・興行の方々に伝えるか。プロデューサーは通訳です、と。 これこそ価値の伝達だとは思わないか?つまりは、俺っちの意味するところのビジネスじゃないか。監督にとって価値あるもの。そして投資家や配給・興行の人達にとって価値あるもの。その間に立ち、価値を伝える。配給や興行の方は、その価値を観客に伝える。観客は、鑑賞によって得られるであろう価値に見合う対価(金銭であれ、誉め言葉であれ、ただ単なる笑顔であれ)を支払う。その価値は監督に戻り、プロデューサーに渡され、彼らは新たな価値を創造する権利を得る。ここに、無限の価値のループが生まれる。(なんかの映画みたいだな) 映画ビジネスは、その価値の伝達のどの場面にも使える。学問におけるビジネスとは、上に書いた一連の価値の伝達を、ただ単に理論化したものだからだ。 芸術と呼ばれる類のものは、きっと太古の昔から存在しただろう。しかし、価値の交換はそのもっと昔に遡る。人間が生まれた時?それとも生命が生まれた時?いつかは分からない。ただこれは分かる。食物連鎖であれ、なんであれ、生態系自体が価値の交換によって成り立っている。そして、その価値の交換を理論化した学問を勉強することは、世界そのものを勉強することにさえなるという事を。 映画ビジネスを学び それを使おうとする俺っちを どうか どうか温かい目で 見守って下さい。 終わり |
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