幸福になりたいのだったら、人を喜ばすことを勉強したまえ。 by M・プリオール | 映画ビジネスに関する私的見解 その3 2002年4月24日(木曜日) : : コメント数(1) 似たようなことは、俺っち達のすぐ近くにある。ブランドさ。 ナイキのバスケットボールシューズは中国で数十円で作られているのに、売られる時には数万円だ。プラダもグッチも、どれもこれも、作るのには対してお金がかからない。ブランド品が高いのは、 『みんながブランド品と認めている』 からさ。つまり、みんなの中で価値のあるものとして認めているからだ。それが本当に価値のあるものかどうかは別としてね。 ゴッホやピカソの絵もそうさ。あんな意味不明な絵が、なんで数十億円もするんだ?それは、みんながゴッホやピカソの絵を、価値のあるものとして認めているからだ。最高の芸術品として認めているからだ。 俳優のギャラでさえ、無形物への対価さ。ブラッドピットやトム・クルーズ、ジュリア・ロバーツのギャラは、演技力に支払われるというよりも、彼らの知名度、つまりは無形物の価値を評価されたものなのさ。つまり、俺っち達は映画館のチケットを買う時、ビデオを借りる時、その代金の一部を、暗黙の了解、無形物へと支払っている事になる。俳優達の価値の一部は、お金の本質のように、『みんなの同意』の上に成り立っているのさ。 でも、彼らは卑下されない。それは当然だと言う。彼らが大金を頂くのは彼ら自身の俳優としての技術・力量という現実に存在する部分にこそ価値があるからだと言う。 異議ありさ。ブラッド・ピットがもし一本も映画に出ていなければ、彼はあんな大金をもらう存在では、決してありえない。彼のギャラを作り出したのは、彼が今まで出てきた映画であり、その映画を表現したのは映画監督やクリエイターの方々であれど、その映画の価値を世界の人々に伝えてきたのは、映画プロデューサーやマーケッター、映画ビジネスマン達だ。俳優や監督等が無形物としての価値を得るのには、幾多のビジネスマンの力が必ず必要となる。彼らなくして、現在のブラッド・ピットもトム・クルーズもジュリアロバーツも存在し得ない。 製作者達は、映画という価値ある有形物を作る。しかし、映画プロデューサー並びに、映画ビジネスマンの方々は、その映画に有形物とは異なる無形物としての価値を付加する。その有形物・無形物はどちらも必ず存在する。その2つが存在してこそ、映画は質的、興行的に成功する。どちらか一方でもかけた時、どちらか一方でも満足な結果を得られなかった時、その映画は観客の目に『失敗作』というマイナスの印象を形作ってしまう。どちらか一方がかけただけで、そのどちらの価値も否定されてしまうんだ。 例えば、ハリウッド映画は日本でも莫大なマーケティングコストを費やして映画を宣伝する。しかし、それに質が伴わない時、興行的、アセット的失敗は免れないよね。 逆に、日本映画でも秀作・傑作の類は多数存在する。しかし、それが興行的に失敗した時、大衆の目には『つまらない映画』という印象を残す。それがどんなに面白い映画であっても、数多くある映画の中に埋もれる可能性を否めない。 観客はシビアだ。見て面白くないと思った映画を『ごみ映画』と呼ぶ。さらに観客はシビアだ。見てもいないのに、興行的に奮わない映画、公開第1週でランクインしない映画も『ごみ映画』と思う。そう、見てもいないのに。 もう1度言いたい。有形物・無形物の価値はどちらも必ず存在する。その2つが存在してこそ、映画は質的、興行的に成功する。どちらか一方でもかけた時、どちらか一方でも満足な結果を得られなかった時、その映画は観客の中で『駄作』となる。 だから俺っちは思う。観客にとって素晴らしい映画を作る時、優れたクリエイターだけで十分だってことはない。観客にとって素晴らしい映画を作る時、優れた映画ビジネスマンだけで十分ってことはない。その両方が存在してこそ、観客にとって価値のある素晴らしい作品が作れるんじゃないかとね。 続く… |
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