われわれは他人の知識によって物知りになれるにしても、知恵者になるのは自分自身の知恵によってである。 by モンテーニュ | 映画留学は駅前留学? その3 2002年4月19日(金曜日) : : コメント数(0) ビッグスクリーンは遠い。そして誰もが狙っている。日本人だけでなく、学生だけでなく、ゲーム業界からもテレビ業界からも、本当に多くの人間があのビッグスクリーンを狙っている。映画学生は、その限られたスペースを狙って、学校を通して知識を学び、現場を通して経験を積む。ただ、肝心なものを忘れている。そう、『肝心なもの』を。 習慣というのは恐ろしい。俺っち達は日本人として日本の教育を受けてきた。小学校から中学校、中学校から高校へ、高校からは大学や就職を。その全てのルートにおいて、俺っち達はカルト宗教の集団結婚式のような、集団活動をしている。時期がくれば、いずれ次のステージに進める、または進まざるを得ない。だから身を委ねる。俺っち達は、知らず知らずのうちに、取り囲まれた流れに身を委ねているのさ。 人と同じ事をしていると言うのは、なんとも楽チンだ。奴らが死ななきゃ、自分も死なない。そんな環境は、なんとも言われぬ安心感を得られる。ただその環境では、『奴らが死んだら、自分も死ぬ。』 これが戦時なら話は別だ。ただ、今は戦時ではない。自分の将来の話だ。助け合い、協力し合って生きていく事は大切だ。ただ、それと依存とは違う。 UCLAやUSCに入りたいという。なぜか?と聞くと、それはまさしく学校への依存を欲しているというケースが多い。ハリウッドへ留学したいという。なぜか?と聞くと、それはまさしく『映画の都ハリウッド』の名前へ依存したがっているケースが多い。前回も言ったけど、こういった『名前』への依存は、留学初期には『やる気』を与えてくれる優れものだ。だけど、それらの『名前』と、そこで得られる知識と経験とが、自分をビッグスクリーンへ連れていってくれるなんていう危険な安心感をいつまでも持ちつづけると、必ず失敗する。その安心感は明かにニセモノだ。 ビッグスクリーンへの行程で、自分がどのくらい依存しているかどうかを確かめるには、『名前』を引き算してみればいい。宮崎駿監督からスタジオジブリを取り去っても、彼はビッグスクリーンを捕らえる。鈴木敏夫プロデューサーからスタジオジブリを取り去っても、彼は確実にビッグスクリーンを捕らえる。スピルバーグ監督然り、北野武監督然り、ジェリーブラッカイマー然り、ジョン・ラセター然り。彼らは『名前』には依存していない。 俺っちはどうだ?にっちからUCLAエクステンションを取り去った時、俺っちをビッグスクリーンへ進ませる要因がどのくらい残る?某アニメーション制作会社を取り去ったら何が残るか?悲しい事に、ほとんどない。これこそが依存だ。さらに『Nitch.net』は、まさしくその依存によりビジターを集めているのだ(笑)。 続く… |
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