馬で行くことも、車で行くことも、二人で行くことも、三人で行くこともできる。だが、最後の一歩は自分ひとりで歩かなければならない。 by ゲーテ | なぜ子供は疲れるのか?その秘密を紐解く! その2 2002年2月28日(水曜日) : : コメント数(4) 疲れの症状の原因となる乳酸は、頭脳活動では一切生じないってことを前回説明した。なのになぜ子供達が疲れているのか?って所まで前回のコラムで取り上げたよね。さぁ、問題が掴めてきたわけだ。なら解決法だって、きっと見つかる。 もし家庭内の問題が子供にプレッシャーをかけ、それによって筋肉の緊張が生じているとしたら、俺っちには対処の術がない。家族の問題は家族の問題であって、親としての責任をしっかりと果たすべきだと思う。子供を見て、感じる。会話の機会がなくとも、コミュニケーションは必ずはかれるはずだ。 友達との不仲だったら大抵の場合は問題ない。子供は順応力に優れているから上手くやっていけるさ。ただ、イジメまで問題がエスカレートしていたら、それは別の問題。子供は純粋であるが故に残酷で、理性が発達段階にあるために、本能として自分と異質の存在を排他しようともする。だからイジメという問題は、子供達だけでは防ぎきれないことが多い。そうなったら大人、もしくは子供達が『権力の行使を認めている』存在が、彼らを助ける必要があるだろう。 ただ、この時気をつけて欲しいこともある。子供は、まだガキであるってことを必ず意識した対処を取ることだ。大人がいくら、 そう言う時には、ある素晴らしき医者、佐久病院院長・若月俊一の言葉を思い出すといい。 これは、昭和34年、地方の村人達に診断を受けさせるために、彼が奔走した時の言葉だ。当時、地方の村では西洋医学なんて誰も信じちゃいなかった。病気は祈祷で直るものだと、どの村人も信じて疑わなかった。村の嫁さんが病気にでもなったら、 『なんて不甲斐ない女だよ、まったく!』 なんて言われてしまうし、現金収入の少ない村人達にとって、医者に診てもらい、薬をもらう代金にさえ、困窮しているような状況だったからさ。 ただ、この医者は走った。村人達が病に犯されている。村人のほとんどは重大な病気を引き起こしかねない高血圧だ。家畜とともに過ごす生活は、衛生状態を極限まで悪くしていた。 そして、医者は走り続けた。その病は彼の医学で簡単に治せるものばかりだ。村人達の西洋医学に対する偏見、封建的な村の考え方を前にしても、ひるむことなく彼は走った。 ある時彼は、村に集団検診の必要性を感じた。金のない村人を病から救うには、応急処置の薬ではなく、定期的な健康診断による早期解決、健康維持こそ必要だと思ったのだ。しかし、村人達の医学に対する偏見、そして彼らを取りまく環境。いくら走り、説明した所で、村人誰一人として説得することはできない。 そして考えた… 典型的な村の親父が腹痛にかかりながらも、医者には診てもらいたくない。我慢して我慢したあげく、1度だけ診てもらうことにする。するとどうだろう?さっきまで苦しんでいた腹痛は幻だったかのように、ケロリと直ってしまった。そんな内容の演劇を、村人たちに受けやすいよう、コミカルに演じることにしたのだ。 もちろんプロを雇う金などない。自分で脚本を作り、俳優も女優も、楽器も歌も自分達がこなす。村人達は見に来てくれるだろうか?笑ってくれるだろうか?そして医者に理解を示してくれるだろうか? 結果は大成功であった。 その後、若月の奔走により、村の集団検診が日本で初めて実現した。金のない封建的な考え方を持った村人達を、彼は演劇の助けをかりて成し遂げたのだ。
確かにアニメーションは実写と比べ、大人達へのメッセージインパクトでは劣るかもしれない。漫画は小説と比べて、想像の幅を狭めてしまうという欠点も確かにあるだろう。しかし、子供達にとって、好きなキャラクター、好きな物語は、強烈なインパクトと、透き通るほどの訴求性をもって迫ってくる。俺っちが子供にメッセージを伝えたいという夢を持った時、アニメーションを選んだ理由はここにある。 予定とは大幅に話がずれてしまったけど、もし親として子供に伝えたいことがある時、それを代わりに伝えくれそうなアニメーションや漫画を捜すのも、1つの手になりうるということを言いたかった。そして、俺っちが将来作るアニメーションも、子供達にメッセージを伝えられるものでありたい。 |
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