馬で行くことも、車で行くことも、二人で行くことも、三人で行くこともできる。だが、最後の一歩は自分ひとりで歩かなければならない。 by ゲーテ | 人生の偉業を考える 2001年6月 4日(月曜日) : : コメント数(6) 当たり前のことだけど、深く考えると意味深いことのように思えることがある。今回、思考録で取り上げる内容、『人生の偉業』もそんなところから端を発した。 俺っち達が死ぬ運命にあるのは誰もが知っているはずさ。生きてりゃ、そりゃ死ぬわな。ただ、俺っちを含め、まだ比較的若い世代の人達にとって、この“死ぬ”ってのは、どうも現実味がない。どう捉えればいいか?どう対処すればいいか?なんて考えることさえできないし、普段考えようとも思わないはずさ。 俺っちも死ぬ。俺っちの親も死ぬ。兄弟も、友達も、みんな死んでいなくなるわけだ。俺っちが死んだら、悲しむ人の何人かはいる。そして、彼らは俺っちが死んだあとも、俺っちが生きていたということを頭の片隅にでも置いていてくれるだろう。 だが、彼らが死んだとき、つまりは、俺っちの存在を知っている、覚えている人間が全てこの世界からいなくなった時、俺っちが地球上に存在した事を証明する物は何もない。結局は、俺っちはこの地球上にいたかどうか、生きていたのかどうか、そんなこと分からないわけだ。 とても幸せな人は、凄い建物を残したり発明を残したりして、ずーっと残ってるけど、普通の人は残ってはいられない。100年前に山田権之助さんがいたなんて誰も知らない。築地伊之助さんが生きていた事なんて誰も知らないのさ。ちょっぴり寂しくはないかい?俺っちはさびしい。自分の生の意味が、実は何の意味さえ持たない物のように思えてしまうからね。 俳優のジェームス・ディーンが俺っちの通うUCLAの学生だった頃、こんなことを言ったそうさ。 人間として真に偉大であるためにはたった一つの方法しかないと思うんだ。もし人が生と死の溝を埋める事ができたら、つまり、もし人が死後も生き続けることができたら、その人は偉大な人間だったと言えると思う。成功について皆が話す時、最上階まで登りつめた人の事を指すんだろうけど、本当は最上階なんてないんだよ。 人間というものは、上へ上へと登って行って、決して途中で止まってはいけないものなんだ。僕は、人間の本当の成功、本当の偉大さは不死にあると思うな。歴史に名を残すような仕事をする事、何世紀にもわたって世の中に残るような何かを成し遂げて世界に貢献すること、これこそ真の偉大さだと思うんだ。 これをある友人から聞いて、俺っちは『人生の偉業』を考えるに至った。 結論から言えば、俺っちとジェームスディーンの『人生の偉業』に対する考えは似て非なるものとでも言えるかもしれない。というのは、ジェームスディーンが言うところの偉大さは、後世に“物”を残した人物だ、といっているが、俺っちの思うところはもっと曖昧であるからだ。 俺っちは思う。人間の真の偉大さは“死”の中にこそあると。俺っち達人間のみならず、地球に生きる全ての動植物の偉大さは、紛れもなく“死”の中にこそあると。それは生物学的に見て、進化していく生き物には、生と死を繰り返した世代の交代によって、環境への順応やら、新たな能力やらを身につけていくっていう想像をこえるシステムがあるからだ。そしてさらに、人間に絞って言うのならば、人間こそ、過去の人類の死の連続から得られた経験を踏まえて、現代、そして未来へとその経験を利用していくことができる唯一の生物だからだ。 その過去の人類の経験と言うのは、ジェームス・ディーンが言うように『歴史に名を残すような仕事をする事、何世紀にもわたって世の中に残るような何か』である場合もあるだろう。しかし、それらはあくまでも『人生の偉業』の中の1つのツールでしかないと思う。つまり、その『ツール』を使って、何か別の『偉業』を成し遂げているということさ。 人間が死んだあとも残せる偉大なもの。それは、物やことでは決してないと思う。もちろん、それらを残すことも出来るが、それら具体として存在する物は、俺っちに取っては決して偉大でも何でもない。ならば何が偉大であるのか?その問いに俺っちが答えをひねり出すとすれば、 だ。物や事、なんてどうせなくなっちまう。俺っちがアカデミー賞を取ったら俺っちは偉大か?俺っちがノーベル賞を取るような発明をしたらそれは偉大か?偉大かもね。 ただ、俺っちは思う。真にに偉大なことって、回りの人や次の世代の子供達に“意志”を伝える事だと。俺っちは言った。権之助さんがいた“事”なんて誰も知らないって。そうさ、“事”なんて対した問題じゃない。でも、本当に権之助さんが生きていたとしたら、彼の子供、彼の友達、そしてその子供、そのまた子供。絶対に権之助さんの意志は伝わってる。受け売りであれ、反面教師であれ、絶対に意志は伝わっている。そして、俺っちは、その意志の伝達こそが、人間が行う全てのことに勝り、偉大だと思うのさ。 権之助さんがもし、“盗みはよくねぇ”って回りの人に彼の意志を伝えて、それがみんなに広がって、今生きている俺っち達も“盗みはよくない”って思っているのだとすれば、そりゃーもう、すごい意志のパワーだとは言えないか? 俺っちがアニメーションプロデューサーを志した理由はここにある。この偉業に対する俺っちの意見は、決して普遍的な物ではなく、ただ俺っち価値観かもしれない。しかし、俺っちは、この“意志を伝える゜という行為が、すごく人間らしく、そして純粋で、なおかつ大切な物であるように思えてならないんだ。 今回のコラムでは、『人生の偉業』について、俺っちが考えるところを綴った。もし読者の方の中に、自分が成し遂げたい『偉業』が見つかっていない方がいるならば、一度それに関して考えてみるのもいいかもしれない。自分がやりたい仕事、自分が生きる上での目的なんかが、見えてくるかもしれないからね。 |
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