著者: にっち
1977年9月25日 東京生まれ 男性。
現在、アメリカ合衆国カリフォルニア州ロサンゼルスに住み、ハリウッドにて映画ビジネス等を学んでいます。アニメーションプロデューサーになり、たくさんの子供達にメッセージを伝えることが自分の使命だと勘違いしている男です。そしてまずは第1歩。憧れのアニメーション制作会社に就職が決まり、これからますます自分の人生を楽しもうと思っています。
にっち(Nitch)、というニックネームは、小学校5年生の時に友達がつけてくれたもので、今でもそう呼ばれています。ちなみにあの頃は消防士になることが将来の夢でした。理由はありません。七夕の短冊に願い事として書いたことも覚えています。
中学生に入り、急に頭がよくなりだします。不良にあこがれていた時期ですが、超不良のお姉様がいまして、僕まで不良になっては母親に申し訳ないと思い断念。この頃は、医者か弁護士になりたかったです。苦労して育ててくれている母に楽をさせたかったので。
高校は千葉県にある東邦大学付属東邦高校という進学校に入学しました(一応、名門私立武蔵高校にも合格)が、あまり肌に合わず、部活に打ちこみました。サッカーがやりたかったんですが、弱かったので、その学校で最も強いハンドボール部に入部し、ゴールキーパーとして、卒業する頃には国体選抜に選ばれるくらいになりました。でも、練習場が遠かったので、辞退しました。この頃は建築家になりたかったんです。建物を自分の思いどうりに建てられることに魅力を感じました。
一浪し、横浜国立大学の電子情報工学科に入学しました。センター試験と数学と面接だけでよかったので楽でした。この頃は既に、子供にメッセージを伝えるという自分の使命に目覚めていて、夢はゲームプログラマーでした。大学入試の面接の時に、『ドラえもんのように子供に夢を与えるために、ゲームプログラマーになりたいんですっ!』と言ったら、『君は大学に来る必要ないんじゃない?』なんて冷たい目で言われてしまったんですけどね。あの頃、ちょうど藤子不二夫さんが亡くなられた時期でした。
ゲームのインタラクティブ性が物語には邪魔だ、と感じた僕は映画監督を志しました。そして、アメリカに、ハリウッドに映画留学しようと決意したんです。大学を中退し、留学資金を貯めるために働き出しました。飲食系の零細ベンチャー企業で店長をやらせてもらえました。1日12時間、月30日の過酷な労働でしたが、月40万円くらいもらえたので、留学資金は順調に貯まっていきました。しかし、この頃仕事を通して、自分の発想や思考が、監督と言うよりもプロデューサーに向いているのでは?と思うようになりました。そこで、映画プロデューサーになるためにハリウッドで映画ビジネスを学んでこようと決意しました。
1999年、ロサンゼルスにあるLos
Angeles City Collegeに留学しました。しかし映画プロデューサー的なカリキュラムが少なく、満足できずに一年半後、UCLA Extensionという学校のThe Business Management of Entertainment学科(エンターテイメントビジネス学科)に編入しました。講師はハリウッド映画業界のトップ達、生徒もほとんどが業界人だけに刺激もあり、内容も現状に即した実践的なものなので満足しています。
日本の風土と情緒、日本人の思想。異国の地に来て、母国を眺めた時、自分はやはり日本で働きたいと思うようになりました。また、自分の夢の矛先は、子供達に向けられているんだということを改めて確認し、アニメーションをプロデュースしようと思いました。結果として、日本の映画を支えつづけるアニメーション映画のプロデューサーを志すに至り、多くの方のご協力を得て、小さい頃から憧れたアニメーション制作会社に就職が内定しました。
現在の所、著者の歴史は以上です。
にっち
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